古典は、書かれたときの形のまま残ってきたわけではありません。書き写され、注をつけられ、訳され、ときには別の作家の手で書き直されながら、いまに届いています。
私たちがアニメやマンガで出会う物語にも、その流れの先にあるものが少なくありません。この記事では、日本の古典と、日本の文学に深く入り込んだ中国の古典から7つを選びました。それぞれが、どの作家の手を経て、いまどこにたどり着いているのかを順にたどります。
古典を大切に読みたい人が、何をどの順で読めばその流れを自分の目で確かめられるか。そのための読書の地図として使ってもらえればと思います。
| 古典 | 書き継いだ近代・現代の文学 | いまの形 |
|---|---|---|
| 竹取物語(平安前期) | 森見登美彦 訳 | アニメ映画『かぐや姫の物語』 |
| 源氏物語(平安中期) | 与謝野晶子・谷崎潤一郎・角田光代らの訳 | 『あさきゆめみし』、大河ドラマ『光る君へ』 |
| 今昔物語集(平安後期) | 芥川龍之介「羅生門」「鼻」「藪の中」 | 映画『羅生門』、『文豪ストレイドッグス』 |
| 平家物語(鎌倉) | 古川日出男 訳、『平家物語 犬王の巻』 | アニメ『平家物語』、映画『犬王』 |
| 小倉百人一首(鎌倉) | 田辺聖子『田辺聖子の小倉百人一首』 | マンガ『ちはやふる』 |
| 南総里見八犬伝(江戸後期) | 山田風太郎『八犬伝』 | 映画『八犬伝』 |
| 西遊記(明代の中国) | 中島敦「悟浄出世」、万城目学『悟浄出立』 | マンガ『ドラゴンボール』 |
竹取物語 ― 最古の物語から、高畑勲の映画へ
『竹取物語』は、紫式部が『源氏物語』の中で「物語の出で来はじめの祖」と呼んだ作品です。竹から生まれた姫が、求婚者たちに難題を出し、最後は月へ帰っていく。筋はよく知られていますが、通して読むと、求婚者たちが次々に失敗していく場面の可笑しさに驚きます。
森見登美彦さんの訳は、現役の小説家による訳なので、注を追わなくても一つの物語として読めます。
2013年には、高畑勲監督がこの話をアニメ映画『かぐや姫の物語』にしました。筋はほぼ原作のとおりです。そのうえで、姫が地上の暮らしをどう感じていたのかという、原作が書かなかった内面を描いています。千年以上前の物語に、いまの作り手が問いを書き足した例です。
源氏物語 ― 訳され続けてきたこと自体が、ひとつの文学史
『源氏物語』ほど、近代以降に何度も訳された古典はありません。与謝野晶子が明治の終わりに訳し始め、谷崎潤一郎は生涯に三度訳し直しました。その後も円地文子、瀬戸内寂聴が訳し、最近では角田光代さんが全訳しています。
同じ原文でも、訳す作家によって別の小説のように読めます。どの訳を選ぶかということ自体が、この作品を読む楽しみの一つです。
マンガでは、大和和紀さんの『あさきゆめみし』が長く入り口の役を果たしてきました。2024年には紫式部を主人公にした大河ドラマ『光る君へ』が放送され、書き手の側から物語を見る視点も加わりました。訳の選び方は古典の現代語訳の記事に詳しく書いています。
今昔物語集 ― 説話が近代小説になり、世界の映画になった
『今昔物語集』は、平安時代の終わりごろにまとめられた説話集で、千を超える話が入っています。一話一話は短く、登場人物が何を考えていたのかは、ほとんど書かれていません。
原文と現代語訳を並べて読むなら、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックスが手ごろです。
大正時代、この説話集に目をつけたのが芥川龍之介でした。「羅生門」「鼻」「芋粥」「藪の中」は、どれも『今昔物語集』の話をもとにしています。芥川は筋をほぼそのまま借り、そこに人物の心の動きを書き足しました。古い話に、近代の心理を持ち込んだのです。
その「藪の中」を、1950年に黒澤明監督が映画『羅生門』にしました。一つの事件を、関わった者たちがそれぞれ食い違う形で語る映画です。翌年にヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受け、日本映画が世界に知られるきっかけになりました。
いまは『文豪ストレイドッグス』に芥川龍之介の名を持つ人物が登場し、その異能力の名前は「羅生門」です。モデルになった作家の作品は、文豪ストレイドッグスの元ネタの記事で紹介しています。
平家物語 ― 語りの文学が、アニメの声になる
『平家物語』は、もともと琵琶法師が語り伝えた物語です。文字で読むものである前に、耳で聴くものでした。
古川日出男さんは、この物語を訳したあと、外伝として小説『平家物語 犬王の巻』を書きました。室町時代に、平家の物語を新しく語り直して人気を集めた能楽師・犬王の話です。
2022年には、古川さんの訳をもとにしたテレビアニメ『平家物語』(山田尚子監督)が放送されました。同じ年には、『犬王の巻』をもとにしたアニメ映画『犬王』(湯浅政明監督)も公開されています。語り直されることそのものを描いた物語が、また新しい形で語り直されたことになります。
小倉百人一首 ― 歌がるたから、競技かるたのマンガへ
藤原定家が百人の歌を一首ずつ選んだとされる小倉百人一首は、江戸時代にかるたとして広まりました。古典の中でも、いちばん暮らしに近いところにある作品です。
歌の背景を知るには、作家の田辺聖子さんが書いた『田辺聖子の小倉百人一首』が読みやすいと思います。一首ずつ、詠んだ人の人柄や時代のことを、小説家らしい語り口で書いています。
末次由紀さんのマンガ『ちはやふる』は、競技かるたに打ち込む高校生たちの話です。題名は在原業平の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川」から取られています。千年近く前の歌が、いまは畳の上で一瞬を争う札として読まれています。
南総里見八犬伝 ― 江戸の長編と、それを書いた人の物語
曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は、八つの玉を持つ八人の剣士が一人ずつ集まっていく長編です。完成までに28年かかりました。馬琴は途中で目が見えなくなり、最後は息子の妻のお路に口述で書き取らせて書き上げています。
山田風太郎さんの『八犬伝』は、この物語そのものと、それを書き続ける馬琴の日々を、交互に描いた小説です。馬琴のもとを訪れる葛飾北斎との会話も出てきます。物語を書くとはどういうことかを問う作品で、2024年に役所広司さんの主演で映画『八犬伝』になりました。
原典はとても長いので、まず山田風太郎さんの小説から入り、気になったところで原典の現代語訳に進む順がいいと思います。
西遊記 ― 中国の古典を、日本の作家が書き継ぐ
日本の文学は、中国の古典からも多くを受け取ってきました。『西遊記』はその代表です。三蔵法師の一行が天竺へお経を取りに行く旅の話で、原作はとても長いので、全3巻にまとめ直した渡辺仙州さんの版から読むのがいいと思います。
中島敦は、沙悟浄を主人公にした「悟浄出世」「悟浄歎異」を書きました。妖怪たちの間を渡り歩きながら、自分とは何かを問い続ける悟浄の姿は、同じ作者の「山月記」にも通じるところがあります。
2014年には、万城目学さんが短編集『悟浄出立』を出しました。沙悟浄のほか、三国志の趙雲や、項羽のそばにいた虞美人、司馬遷の娘といった、中国の古典の脇にいる人物の目から話を語り直しています。中島敦の悟浄ものと読み比べると、同じ人物が七十年あまりの間をおいて、別の作家にどう書かれたかが分かります。
そして『ドラゴンボール』は、連載の初期に『西遊記』を下敷きにしていました。主人公の名が孫悟空であることや、如意棒や筋斗雲が出てくることに、その名残があります。
近代文学も、次の古典になっていく
この流れは、いまも続いています。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、生前には発表されなかった作品です。それが死後に読まれるようになり、1985年には、ますむらひろしさんの絵をもとに登場人物を猫の姿にしたアニメ映画になりました。松本零士さんの『銀河鉄道999』も、この作品から着想を得たことで知られています。
芥川や宮沢賢治の作品は、書かれてからまだ百年ほどです。それでもすでに、古典と同じように語り直され続けています。いま近代文学を読むことは、次の古典を先に読んでおくことでもあると私は思います。
どの順で読むか
流れを自分の目で確かめたいなら、下流から上流へさかのぼる読み方をおすすめします。好きなアニメやマンガ、あるいは現代の作家の本から入り、次にその作家が下敷きにした近代の作品、最後に古典の現代語訳へ進む順です。
たとえば『悟浄出立』から中島敦の「悟浄出世」、そして『西遊記』へ。あるいは芥川の「藪の中」から『今昔物語集』へ。どちらも一冊ずつが短く、流れの両端を数日で読み比べられます。
古典のほうから読みたい人は、原文と現代語訳が並んだビギナーズ・クラシックスのような本から入ると、原文の調子にも触れられます。
書影を載せた本のうち、河出文庫の『八犬伝』と角川文庫の『銀河鉄道の夜』以外は、Kindle版も出ています(2026年9月確認)。古典は注や人物の関係を行き来しながら読むことが多いので、その場で検索できる電子書籍と相性がいいと感じています。



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